最近空を飛ぶ夢をみることがある。すると何故かお前が出てくる。お前が僕にどこにいくのかと聞いてくる。まだ決めていないよと答えるとお前はそうかと普通に答える。
うんそうだよといってお前をみると今度はお前がお前じゃない誰かに見える。もう一度目をこらすとやはりお前がそこにいる。もう一度瞬きをすると今度はお前の後ろに誰かがいるような気がしてならない。もう一度またたけばお前は確かに一人だった。らちが明かないからと目を覚ましてしまうとやはりいつもどおりのお前がいて、しかしもう一度瞬きをすればやはりお前が誰かとかぶる。
「なんだそりゃ」
「だからー、要はこの頃誰かにダブってみえるんだよねってこと。お前が。」
「ダブる、ねえ」
完全に明かりの落ちたこの部屋の視界は、顔を見て会話をするにはやや都合が悪い。バクラがベッドに横たわったままサイドボード上のスタンドライトのスイッチに手を伸ばすと、その胸の上に頭を置いて腹ばいになって乗りかかっていた獏良がむくりと上体だけを起こした。
動作にあわせてブランケットが獏良の肩からずり落ちると、サイドボードの橙の明かりがその肌を不明確に照らす。
「誰にだよ」
肩甲骨の下で止まった唯一の防寒具をかけなおしてやりながらバクラがたずねる。
ついでのように白い髪の中へ指を通すと、じんわりと湿っているのがわかった。
ゆるく撫で付けてやると獏良が目を細めて掌に頭を預けてくる。
「ん?んーじゃあねー、候補だすからあててね。
いち、かーさん。に、とーさん。さん、あーまーねー」
「・・・・とうとう変な電波でも受信しはじめたんじゃねえだろうな」
「ひーどーい」
「お大事にどうぞ」
「あー、お前あんまり信じてないっていうか重要視してないでしょ。
けっこうへんな感じなんだよ?これ。
視覚的にも感覚的にもへんだし」
羽根はえてるみたいで、夢自体は楽しいけどね。きもちいいんだ。
絶えず髪を触られている感触が心地よいのかそれとも単にこそばゆいのか、
獏良はどこか楽しそうにバクラの肌を触れ返す。かけなおしてやったばかりのブランケットは再び獏良の体を露出させている。
腹のあたりからするすると辿ってきた獏良の両の手と指が鎖骨を経由して首元に到着したところでバクラは大きく息を吐いた。
「いいか宿主、とりあえず眼科だ。それかてめーの心の部屋の欠陥か掃除不足だ。
そっちならあとで見てきてやるからとりあえず寝ろ」
「えー」
「えーじゃねえ、勝手にトランスしてんじゃねえよ」
「勝手にってなにそれー?
お前こそ勝手にさー、その後ろでダブついてる人どこから連れてきたの?
無自覚で誘拐とか正直やばいよ?いくら体がなくてもさー。
やめてほしいよねそういうの。本人の意思が伴わないのはちょっとー
と思ったけどあれ?もしかしてお前が連れてきたんじゃなくてお前が」
「だーっ!電波受信ストップ!やめろ!寝ろ!」
絶えず飛んでくる言葉の飛礫に思わず声を荒げると獏良が不服そうに口を尖らせ、
ふっと伏せられた睫が頬に薄い陰を落とす。
「じゃあ寝る前に聞くけど」
「なんだよ」
「おまえ、誰?」
「はあ?」
「聞き方が悪かったかな。お前って何でできてるの?何人いるの?」
「・・・・・なにいってんだ、宿主」
バクラが思わず顔を奇妙にゆがめる。
「だってさあ、何回も言うけどダブって見えるんだよおまえ。どういうことだと思う?黙ってたけどじつは色々致してる最中も今もかぶってくるんだけど」
「しらねえよ」
「ほんとに?」
「しらん」
「知らないんだ。ふうん。いいけどね。別に」
「いいならさっさと寝ろ」
「どっちにしろかまわないんだよ。多分僕が連れてくことになるから。お前もダブってるその人も」
獏良がこともなげにさらりと言った。あまりに自然に発せられたそれを一瞬聞き流しそうになったが、再び頭の中で反復をすることでその異様さにようやく気づく。
「・・・・は、もう一回頼む」
「つれてく」
「どこに」
「んー、どこだろう。でも大丈夫だよ」
「何が大丈夫」
「つれてくからだいじょーぶ」
「誘拐じゃねえのそれ」
「そういう問題じゃないよ」
口調のやわらかさとは裏腹に迷うことなく言い切った。
「・・・・・てめえにそんなことできねえだろ」
「正直できるような気がするから不思議だよね」
獏良が自分と同じつくりの体のうえからごろりと転がりその肩口へ頭を乗せてきた。
小さな声でなにかをぶつぶつと呟きながらもぞもぞと動くと、定位置が見つかったのかそこに頬をすり寄せ自らブランケットを引き上げる。
上手い切り替えし方がどうにも浮かんでこないまま硬直するバクラを尻目に、細く長いため息を吐いてから彼はゆっくりと口を開いた。
「あのね、正直よくわかんないんだけどね?」
「きっとさあ、あのときにお前がもってちゃったんだよ。
僕のー、なんていうんだろうね。僕の中身?半分?三分の一?
どれくらいかは知らないけど」
「あのときっていつだよ」
「あのときはあのときです」
「・・・・・・・・」
「僕のそういうの、もってってそのままなんだよお前は」
お前がたとえ誰でも、それは変わることじゃないんだろうね。
獏良は先ほどよりも躊躇いがちな声で呟く。閉じているのかそうでないのか分からない程度にあけられた瞼が数度まばたきを繰り返した。
「だから結局お前はまだぼくのところに帰ってくるんだと思うんだ」
馬鹿みたいな話だけどね。
「・・・・なあ宿主」
「おまえもしかして」
「みえて」
「はい待った」
ぱちりと獏良の瞼が開く。途中まで出かけた言葉は外に発せられることなく止められた。鼻先と鼻先が触れそうなくらいの距離に顔をよせた獏良の指がついと唇に押し当てられる。随分と柔らかい口枷ではあったが。
「てめえなにかんがえてやがる」
「なにもー」
「吐け」
「今日のお話はここまでー。もーねましょー」
「宿主!」
焦れたように自分を呼ぶバクラの声に獏良は返事はしなかった。刺し殺さんばかりの眼差しに臆すこともしない。その代わりにバクラを上目遣いに見上げて指を差した。
「・・・・あ。ほらまたでてきた」
怪訝な表情を隠さないバクラの方にゆっくりと手を伸ばす。
バクラの、その向こうにまで届くように手をかざされた。
それは軽やかな動きで空を撫でる。
「誰なんだろーねーお前」
「・・・・・」
「でもねー?」
「大丈夫だよー」
そういって髪を撫でる獏良の手を掴んで力まかせに引き寄せた。
彼の頭を肩口に強くおしつけると唸るような鳴き声がもれる。獏良が僅かに苦笑をもらしたようだった。こちらにそんな余裕はない。
臓腑を焼くようなひどい焦燥感がわきあがる。
腹の奥からわいて出てくる炎の渦が自分に幾重にも巻きついているようだった。この脆弱な器からあふれ出んばかりの重圧の怨念。火元の分からぬ負の火災。
それこそ獏良が視るという重なる自分の正体ではないのか?そうでなければなんだというのか?こいつはどこへ行くつもりなのか?わからないことが多すぎるのがこんなにも苦痛になるほど自分は利口だっただろうか。とてもじゃないが耐えられなかった。
滾る思考に蓋をするようにバクラは強く強くまぶたを閉じた。
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