街に出掛けようと決めたのは気まぐれによる思い付きにすぎなかった。今日買わなければならない品も買いたい品もあるわけじゃない。ただなんとなく、 服を着替えて外に出て電車に乗って駅の一つや二つ分ほど家から離れて街を歩いてみるという久しぶりの外出が普段よりも魅力的に思えただけだ。





平日の午後の電車なら空いている、その予想を裏切らず向かい合わせの四人がけの席に一人で腰を落ち着けられたのが幸いで、まるまる空いたその空間がひどく心地よく感じられた。窓側の席、透明な光を透過させるガラス窓には、ことりと頭を預けて今に至る。 ごく見慣れた自分の顔がそのちんけなガラスのスクリーンにうっすらと映っている。そのさらに向こうで、家にビルに人に車に全てが早送りで消えていく。かわりばえのないような、それでも確実に異なる景色。それをじっとみているのが柄にもなく好きだった。今は感動こそ湧き上がらないが。 軽く押し付けた額が感じる冷たさと、車輪と線路の軋む重低音が染みこんで来る。 無言のままでいられるのが一人旅の気安さだ。無駄に体力を浪費しない。十分足らずのわずかな休閑。落とさぬように軽く切符を握り締めた。



― だが、やはり出かけるべきではなかっただろうか。
気晴らしになればいいと思って深く考えてはいなかったけれど、この頃は外にでるたびに些細な事象すべてがこの両足をひきずりこもうと絡みつく罠のように思えてしまうから、どうにもいけない。 我ながら迷惑な話である。頭のなかみがスカスカになっていくのが自分でもわかる。 考えたくないものごとは思考のたがを外してどんどん遠くに飛んで行って、 その感覚だけが軌跡のように残される。 自分の頭がうまく回っていないのか元から回らせられるだけのネジや歯車が足りていないのか、そこのあたりは昔と変わらずわからないけれど、今空いた空洞がこの先なにかで満たされることがないのもなぜだかわかる。どうせ頭がおかしくなるなら自分がひとりでなかったことだけを思い出していたいのだが、 どうにも身の毛のよだつことやらひどく腹の立つことやら危うく死にかけたことやらそういう影ばかりが首をもたげてくるせいで、いつも頭が痛くなるのだ。 誰がとか僕がとか俺がとか君がとか、人称という定義を全て置き去りにして、 だから頭が痛いのだと本当はちゃんとわかっていても。むき出しになった自分のことを、例えば頭に散らばるつまらない記憶の破片だったりそういうものが傷つけていくのをひどく恐れているのだと思う。先の見えない自己防衛、ずっと、ずっと昔からの癖ではあるが、それが自分なりの渡世術になっていた。

それでもこうやって電車に揺られているのは好きなのだ、多分。誰でもない、この身体がそうしたいというからそうするのだ。今こうしてここにいること。これがこの身体の意思であるのは間違いない。それは脆弱な自信だった。だがそれ以外にすがるものがないのも本音だった。もし,この自信すら打ち崩されてしまったら、この最後の盾すら失ったら、と、想像するだにおそろしい。


足元から流れていく空調装置の温風だけが今日はどうしてもわずらわしかった。冬場の車内を暖めるとはいえ、いささか温度が高くはないか。常軌を逸するわけではないが、気になりだすと止まらない。 服越しにもはっきりとわかる、そのなまあたたかな、体温と同じくらいの、それでも同化することのない緩やかな。もしやこれが、このまとわり付く熱が,自分の足かせになっている? ありえはしないと分かってはいても、そう考えた瞬間に両の足は金属のように重苦しくなってくる。見えない何かを無性にこすりおとしてやりたくなって、足で足を数度擦った。ジーンズと靴の表面がぶつかって掠れた情けない音がなる。 一コマあとに、足のなかばが鈍く痛んだ。まだ気になる。もう一度踏む。何度も踏む。もう一度踏む。何度でも踏む。
 そのたびに痛い、と思って、ばからしくなって、やめた。透明の、ややくもりがちな窓が虚ろな気分の虚ろな顔を虚像のごとくうつしている。










(な、学校さぼっていいのか)
(いいよ。基本的に僕ってば優等生だし)
(この時点で失格だろ)
(イメージの問題、イメージの)
(ま、嫌いじゃねえから、いいけどよ。こういうのもな)
(別にお前のためじゃないよ?僕が息抜きしたいだけー)
(かまわねえぜー俺様の     だもんな)
(お前はこんなときだけ優等生だねえ)
(基本的に素晴らしいからな、俺様は)
(ふーん)
(あ、お前切符どこやった)
(ポケットか財布か鞄のなか)
(どこだ)
(どこか)
(・・・・・・なくすなよ)
(はーい)
(なくしても俺様は交代しねえぞ)
(わかってるよ。だいたいお前の悪人面で切符なくしましたなんてありえないもんね。無賃乗車の疑いがかかるよ)
(・・・・・・・)
(え、否定してくれないかなそこは)

(にしても)
(ん)
(何しに行くんだ?買い物だったら近所でいいだろ)
(だからさー、ほらあるでしょ?だれだってどっかにいきたいなーって思うのが。買い物するつもりもないし)
(めずらしい、けどな。お前の場合)
(・・・・ついたらなにしようか?どっか行きたいところ、ある?)

(さあなあ、どこにすっか、ひさしぶりだからな)
(ああそうかもね。ひさしぶりかもしれない)

(どこにする?行ける範囲なら、付き合うよ)








どこに行く。こんな記憶の破片が柔らかい何かをえぐっていく。




そう、どこに行きたいのか、お前は楽しそうな顔をして。
誰の顔だ。それは僕の顔だ。
楽しそうな僕の顔で僕でない顔が僕をみるから話がややこしくなっていく。 どこにいくつもりだ。どうやってどうしてどこにいくつもりだ。 どこに行きたいか、だって?どうして自分が自分から離れられるだろうか。自分から離れられるはずがいない。 消えるはずがない。このなかにある。 全てこのなかにあるのだからこの心の影も頭のもやも全て全て全て杞憂だ。 こんなことを思うたびに例の自信が警鐘をならす。そしてちょうどピークに差し掛かる頃、頭が死にそうなくらいに痛くなって、




(どっか遠いところ、だ)




そしてなにかが死んでいくのだ。残り少ないなにかが死ぬ。





そう、どこか遠いところ。どこか遠いところに逃げられたら、もう帰ってこれなくたっていいのに、と。たかが二駅分の切符を握り締めておきながらそう思うのを笑い飛ばせるだけの力がいつまでもあればいいのに、と。
誰に。
誰にだろうか。こうやって足を引っ張られながらいつまでも逃げ切れずに。
この頃は頭のなかみがスカスカになっていくのが自分でもわかって、
きっとそれはほかならぬ自分が二人称の自分からの置き去りを恐れているからで、
今こうしてなにを言っているのかわからなくなるなんてことは誰にでもよくある話だろう。

今日はいつもより頭が痛い。目的地到着の濁った声のアナウンスを聞きながら席をたつ。 かわりに座った二人組みの誰かのことが、うらやましいとなぜか思う。
いまも少しだけ痛い。