(かあさん、きょうの)







「なんだか暇だね。
こうなったらスーパーつくまでままごとでもしようか。
とりあえずぼくはおかあさんてことで。」

ぱたりと足を止めた獏良がさもいいことを思いついたかのように出した提案に、 思わず眉がひそまるのをバクラは感じた。

「・・・・俺がおとーさんか?」

「それはやだなあ。
いとこの息子とかでいいよ。」

「その配役はままごととは言わねえ」

「どっちかっていうとより現実的なままごとだよ。わけあって親戚の子供を引き取った若者設定。さん、はい」


「さんはいじゃねえよ」


「バクラ君は今日なにがあったのかなー、おかあさんしりたいなー」

「・・・・・」


「知りたいなー」


「・・・・・・・・」

クローゼットの奥からひっぱりだしたコートとマフラーに厳重に包まれた獏良とともに、夕暮れの道をスーパーを目指して歩いている途中だった。
冬場に限らず休日は家のなかにひきこもることが大半ではあったが、寒さに屈した横着の末に食料が先ほど尽きたのだ。
下手をすれば食事がとれなかろうがなんだろうが気分が乗らなければ外に出ようともしない獏良の機嫌をここでそこねても仕方がないので、バクラは半ばなげやりに了承の意を両手を挙げることで示した。



「今日は一日ごろごろごろごろしている人の横で俺様もごろごろごろごろ転がってました、よ、おかあさま?」

「・・・・別にごろごろしてたわけじゃないよ。日ごろの子守のストレスを忘れてリラックスしてただけ」

「ものはいいようだな」

「バクラ君はもっと尊敬と感謝の念をもつべきだとおもうなあ」

「はいはい宿主様はすばらしいですねー」

「宿主じゃなくておかあさんですー」



そのまま放っておいても一人でぺらぺらしゃべり続けんばかりの勢いの獏良にバクラは最低限の調子をあわせる。
それでも彼にとっては十分なようだった。 過去の経験からいって、獏良の気が変わるまでこういう仕様のないやり取りは随分と続く。
その一連の無駄な遊びに一応は合わせてやっていることがバクラにとっては奇跡だったが、もはやいつものことだと思えば呆れ以外の感情もわかない。
今は早々に目的地に着くことを願うだけだ。
冬を目前に控えたこの時期のこの時間はひどく冷える。はしゃぎながらもさすがに寒いのであろう獏良の吐く白い息が何度も現れてはぼやけて消えるのをぼんやりと見ていた。





「こうみえてもかーさんはねー、」

「・・・・」

「・・・・」

「なんだよ、かーさんは」

「ん」

「・・・・」

「ていうかさー」

「はいなんですかねーおかあさま」

「ちょっとそれタイム」

「・・・はあ」

せっかく付き合ってやってるのにと不服を顔にあらわすと、
獏良が笑ってなだめるような仕草をしてから口を開いた。



「おまえさ、自分の母親って覚えてる?」


今度はこちらの足が止まる。 が、首をかしげながら獏良はかまわずに先を歩いた。 はっとしてその背中を大股で追う。何がおかしいのか獏良はにこにこと笑顔を浮かべているようだった。 こういうときは何を考えているのかわからない。


「僕のかあさんはね、僕より父さんが好きだったんだぁ。
別にいいんだけどさー、夫婦なかよくって。
でも昔は僕だって僕のことも構ってほしいと思ってねー。
気にかけてほしくってー 気になってもないのにわざと今日のごはんはなにかってよく聞いてたりしたんだよね。
ただまともに返事が返ってきたことがなくて。
かあさんはいっつもにこにこしててー、
いつもかあさんは ―   」


獏良は歌でも歌うような調子で、やはり真白い息を出す。

獏良の母親のこと。
それくらいはバクラも知っている。
伊達に長く獏良のなかにいたわけではない。
思い出そうとすればすぐにでもでてくる光景だった。
たとえば幼い獏良が母親に、ねえお母さん夕飯はなあにとたずねる。
それに気づいた母親は、そうねなにかしら、それよりお父さんは何時に帰ってくるのかしらと上等の微笑みで とんちんかんな答えを返す。
ふわふわと柔らかい、ただ柔らかいだけの笑みを携えて獏良の方をみて、それだけだった。彼女の笑みに意味などない。 悪気がないのが一番タチの悪いところで、彼女はひたすらに自分の夫を懸想し続けた。気持ちの良い話ではけしてなかった。
挙句そうするうちに獏良もあの女と同じ顔で笑うことを覚えたらしく、獏良の家はますます気味の悪い家庭になっていく。
 あれは母親ではなくあくまで女という生き物でしかなかったのだろう。 少なくともバクラが獏良のもとにきたころ、既に彼女が獏良の隣を歩くことはなかった。
丁度今日のように寒い日に、獏良は母ではなく妹の隣を、下手をすればその前や後ろをぽつぽつと歩く。 父親にしなだれかかるようにして前を行く女、(ともすれば少女のような)その背中を獏良のなかからバクラも見ていた。
そしてその背中を見るたびにこう思うのだ。
ああなんてあわれな宿主。
行き場の無い憐憫と嘲笑と愛情と憎悪が湧き出る。
母親のぬくもりをおぼえずにこいつはこのまま生きていくのだ。
否、このままいきていけるのか?


(自分こそそんなもの覚えていないくせに滑稽な話だ。
 かろうじて残ってる記憶といえば自分もやはり後姿、
 自分と同じ白い髪。
 顔は無い。
 それ以上は何も無い)




極めつけに獏良の妹が死んでしばらくすると女は消えた。
大好きだったはずの夫も、自分によく似ていると言われた息子のことも全てを置き去りにして蒸発した。
休日に3人で昼食をとって、数時間したらもういなかった。
そのときばかりはさすがの獏良も随分動揺していたようだがそんな気持ちも母親には伝わるわけもなく。
旅行用のトランクと愛用品だけが忽然と消えうせた母親の部屋のドアの前で、ただ目をまるく見開いていた獏良をみていたのすら父親ではなくバクラだった。
それほど娘の死が彼女にとって衝撃だったのか、それとも娘を失った自分に自分が耐えられなかったのか。 いまだに彼女は帰らない。







(そうあのときもだれもかえってくることはなかった)
(じぶんのほかはもういなかった)

(あかいへや)
(あのときじぶんだけがみていた)
(白い髪、細い後ろ姿)
(反射的に見ひらいた自分の目)
(あかいほのおのなかへきえるのをみた)
(すべてあそこでとけてきえた)













「バクラ?」
「あ?」
「・・・・・・聞いてた?お前は母親のこと覚えてるってきいたんだけどー?」
「甘いな。俺はでっけえ木のまたから生まれてきたんだぜ」
「なにその悪魔仕様」
「それか雷からこう大胆に誕生」
「ふうん。そうなの。
 雷がかっこいいと思ってるあたりお前も大概単純だよね」
「てめえ」

バクラに小突かれるそうになったのを、獏良はきゃあ犯されるとふざけた声を上げて、突き出された腕からすり抜け前に飛び出た。
一層大きく作られた白い息が獏良のまわりで遊ぶように浮かび上がる。

「けどそっかあ、おまえもわかんないんだねえ」

獏良はそのままバクラよりも二歩ほど前を歩き始めたが、
バクラは黙って後ろについた。
獏良もそれを咎めず目線を少し送っただけで、涼しい顔をして進行方向へ向き直る。


「ほんとよくわからないよねー」

気の抜けた声が吐き出される吐息とともに小さく、白っぽく響く。

「ていうか、ひと全般?
 家族とか友だちとか関係なくわけわかんないよね。
 一体なんなんだろ。
 血繋がってるのとか繋がってないとかも正直なんだかなぁ。
 僕は家族のこともなんだかよくわからなかったよー?
 いまでもさっぱりわからないし」

空を仰いだ獏良の髪が橙の明かりのなかで重力に逆らわずさらさらと揺れる。
(わかる必要がないからだろう。お前は俺をみてればそれで幸せにきまっているから)


「あのね。
僕のかあさんはこんな風に綺麗な夕昏の日にどっかにいったんだ。
ロマンチックでしょ。
いったいどこにいっちゃったんだろうね。
いつも夢のなかにいるような人だったなー。
それでもいつかは帰ってくると思ってたけど。
最後に一緒に食事をしてさ、でも正直なんにも覚えてないんだ。
最後だなんて知らなかったし。」

(ちらちらとなにかがもえるたび、声がひとつひとつときえていく)

「ほんとは家をでるまさにその瞬間ってかんじの姿もみてたんだよね。
とうさんには黙ってたけど。
それこそ、それきり帰ってこないなんて思いもしないでしょう。
覚えておこうとしなかったから結局何も覚えてないよ。
僕って一体かあさんと最後になに食べて何話してたんだろうね。」





(ぜんぶきえたのはいつだったか?)




「思い出したいのか」


「ううん別にそうじゃないよ。
 ていうか忘れちゃっててもう多分無理」
 あんまりうまくいかないんだ。
 ぐるぐるぐるぐる考えていつも振り出しにもどっちゃうから。

「そうかよ」

「お前は思い出したいの?」


足は止めずに、上を向いていた頭だけを戻して獏良はちらりとこちらをみつめた。
どんな顔かは、よく見えない。
逆光は思いのほか強かった。


「だからいったろ?俺は闇のなかの闇から生まれてきたんだぜ。
昔を思い出すもクソもあるか」


ハン、と鼻で笑いながら大仰に両手を広げてみせる。
すると獏良はまたくるりと首を戻して、そこで小さく笑ったようだった。




「やっぱりやめよっか。ままごと」


「なんだ、もういいのか」


「ん、別にいいかなって」


「何で?」


「んんー?だからわざわざごっこなんてしなくても、ねえ?」





(お前のことなら誰よりわかるのに)







「おまえってやっぱ母親には似てねえよ」
「ほんと?みんなにはよく似てるって言われたけどなぁ」
「似てねえ。ついでにいうと妹にも似てねえ」
「えー」
「俺になら似てるぜ?よかったな」
「んー、よかった、ねー」
ちょっとだけ、ねー。



獏良は今度は振り返らなかった。
傾く夕陽の光が獏良の白い髪に染み込んで、侵食するように赤く変える。
炎のように滑らかに光る。
(ほのおのように。結局は全てあのときもえたほのおのように)
(いったいなにがだれがどうなったのか?)
(思い出せるわけもない)
(あかとだいだいのあつさばかりがじゃまをして)



(おもいだせるわけもない)





「やどぬしー」


「なーに」


「今日は何買うんだ」


「何にしよー。食べたいものある?
 ほんとはいろいろ候補があったんだけどー。
 色々考えてたはずなのになんだっけなあ。
 なんかお前と話してたら忘れちゃった。
 なんだっけなー」





(いつかもっと思い出せる日がくるのだと思っていた)
(忘れただけだと思っていた)




ああ、ほんとになんだっけな。









(第一これは誰の話だ?)























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設定捏造ですけどね