窓の外は暗い。随分と深い色をした夜空をこの艦は進んでいる。
ぐるぐると何重にも巻かれた左腕、血はおおよそ止まっただろうか、その包帯をおさえながら、なあまだ痛いんだよと獏良がこぼした。その発言は先ほどまで眠っていたこの部屋を出ることに対しての彼なりの拒絶反応らしいが、あいにく悠長に獏良の言うことを聞き入れ待ってやるような時間はなかった。躯の主導権はこちらにあるのだ、無視をきめこむことなど造作もない。にも関わらず律儀にてめえ黙ってやがれなどと返事を返してしまったのが運の尽きで、どうしてこんなことをするのかといった類の非難を今から延々とされるのかと思うと頭がいたくなりそうだった。あまりに獏良が恨みがましい目でこちらを見るからあまりにその目が昏いから、しかし全て単なるバクラの言い訳に過ぎない。バクラは獏良の顔など、ましてや目など見て話していた訳ではなかった。ただ無視をすればよかったのに。
今すぐにでも退散したいと思ったが、実際に返ってきた獏良の言葉はバクラの予想とは裏腹に違うものだった。いいことをおしえてあげようかと彼は無愛想な背中に向けて乾き切った声を投げてよこす。
いいことをおしえてあげようか。
僕はねえこの躯をあげてもいいと思うことがあるんだよ。
だってお前はいつも自分の幸せを考えているよね。
だから僕がお前にぜんぶ明け渡したら僕の体は幸せになれるのかなって。
お前が僕のからだを使ってお前のやりたいように生きて、そうすれば僕がいなくても僕のからだだけは幸せになれるね。
獏良了は自分の思い描く通りに自分勝手に生きて幸せな人生を送ったことに。
お前ならきっとうまくやれるよ。
父さんとだって仲良くなれる。
獏良の声はバクラの足をぴたりと床に張り付け首を前方に固定させてしまった。
ふざけるな、誰が何を考えてるって?そうだからてめえは。
やめておけば良いのに反論を返してしまうこの口が憎らしい。
そうだから、僕がなに?
僕はなにもしないよ。
しなくていいんでしょう。
お前が勝手にすればいいっていってるんだから僕が勝手にしてこれ以上なにが不満なの。僕がいなくても僕の体は死なないんじゃないの。お前が入っているならさ。
不満とかそういう問題じゃねえ。そういう風に言えば俺がどうにかしてやるとでも思ってんならいっぺん死ねよ。
だからそうするっていってるじゃない。もう知らないよ、僕はなんにも。ねえなんでさっき僕のこと助けたの?僕は逃げたい。
逃げたいんだよ。
欲しいでしょう?そのからだ。
もう逃げたいのはこちらの方だとバクラはドアノブを乱暴に掴む。
ガチャリと派手な音を立てて扉を開くと瞳に光が一気に差し込んだ。なんのへんてつもない廊下ですらこの部屋よりは明かりがある。こんなちんけな光でもなんでも欲しいなら自分から奪いとるくらいすればいい。
しかし獏良はそれをしないし、手を伸ばす素振りすら見せず、じっとりと湿った眼差しをよこすことしかしないだろう。事実、開かれた扉の外へと進もうとするバクラの背中を見つめながら獏良は静かに呟くだけだった。
「お幸せに」