この際だから天井の染みの数でも数えようと試みたのだが、 見上げた長方形はただ平坦に薄灰色に見えるばかりで、 まずひとつめの染みすらどこにあるのか。 寝てばかりいるのもなかなか辛いものだった。 安静にしていろといわれたからには大人しく黙っているのが一番なのだろうから仕方がなく、いつにもまして愚鈍な身体を引きずって医者にかかっておいてまでその助言に背く道理もないだろう。なまじ意識に芯が通っている分、退屈なのは否めないにしても、だ。寒気もしないのに二枚も三枚も重ねられた布団のなかで、手足が不必要に熱を発しているのがわずらわしい。病魔のせいではけしてない、単に装備のしすぎである。
大体にして大げさなのだ、大げさすぎる。 ベッドのわきに棒立ちの、そのおおげさのもとにちらと一瞥をくれてやった。


「いつまでそこにつったってるの」

「別に」

「なんだかなー気味悪いなー」

「・・・・・・・」

「それに夢見もよくなさそうだし?なにがしたいの?」

「・・・・・結局どこがわりいんだ」

「わあ無視?・・・・医者から聞いたとおりだと思うけど」


ぴくりとやつの口角が動く。どうやらお気に召す返答ではなかったようで、だがすぐに無表情を装いながらぼそぼそと言葉を紡ぎはじめた。


「あんな病名だけぽろっと聞かされてもわかんねえんだよ,おれは」


それが奇妙な話なのだ。先ほどからずっとこいつは表に出たままベッドを見下ろしながら仁王立ちを決め込んでいる。たしかに、病名だけ聞かされても、 とそれは事実なのだろう。自称古代の人間、現代の病のひとつやふたつ知らなかったとしても不思議じゃない。 だがこいつの場合不思議なのはそこではない。


「だったら僕のなかからひっぱりだせばいいじゃない。お前がいつもみたいに僕から情報を持ってかないからわかんないってだけでしょ?ハッキングすりゃすぐだっていってたじゃん、よく」


しかし病人に向かって苛立ちも隠さずに随分な男である。ささやかなあざけりをこめておどけてみせると、奴はさらに不服そうに押し黙った。
不服、と表すには語弊があるか。見下ろす視線、睫の合間から除く眼球の儚さ、本人の預かり知らぬところなのかそれは常より遥かに劣っている。いつもその目の中に宿しているというよりは押し込めている、いわゆる”お前らしい”色はどこへやってしまったのか。
どうして、こいつはこうなのだろう、おおげさだ、とそれ以外に言葉もでない。


「努力する意思なし、てことでいいのかな」

「まあ特別に教えてあげるけど」

「あのね、身体に発疹みたいなのできてたでしょ。みたよね?」

「ああ」

「あれがねえ、これからどんどんこれがおおきくなってね、」

説明を続けながら自分の両手で頬を触れる。次いで目を隠す。 やや、熱いようだ。もしかしたら本当に熱がでてきたのだろうか、情けないことではあるが。

「始めは胴体からでてきて、つぎに手、足、って広がってって」

こうしているとバクラの顔はみえない。 そう思うとついてあふれ出るのは発疹ではなく言葉だった。 口からぺらぺらぺらと小気味のよい。


「そうやってね、どんどんどんどん大きくなって真っ赤になってぐじゅぐじゅになって紫色に変色して」

「もー肌がぐっちゃぐちゃのぼろぼろのぼこぼこになって死にたいなって思いはじめたらそのあと」



「最後に顔に出るの!ばあっ、てひどいのが!」


ばあ、と声にあわせて両手を開いた。


「・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・」

「ツッコんでよ、ちゃんと。むなしいから」


道化をただで演じるのに抵抗はないが、反応のないのが落ち着かず、僕は横目で顔をうかがう。ここで沈黙はなしだろう、そんな意を精一杯こめて、 ややあって開かれた唇から、機嫌がいいとか悪いとか、そんなことがにじみ出るのを期待して。


「・・・・・・・・治るのか」

「はあ?」

「なおるのか、そのぐずぐずのぼろぼろ」

「・・・・・・・・・・」

「なおるのか」


こちらに向けたれたのはさきほどの、儚い目。ではなかった。
その奥になにが見えるか、自分には憤怒の炎が見えた。思わず目を見開いたのはこちらの方だ。顔の横でとまった両の手をもてあましたままに。こいつ、もしなおらないといわれたら、その炎をどうするつもりだ?


「・・・・・・じょーだんだよ、じょーだん。紫色にもならないしぐちゃぐちゃにもならないし顔にもでないしほっときゃ2週間程度で消えマース」


いささか気まずくなって、ごまかすように両の手をひらひらと振る。
まだ奴は視線をそらさず見下ろしているが、
さてこれで炎は鎮火できるのだろうか。できなかったとしてこいつの次の行動は読めない。その炎がこちらに向かってこなければ、多分それで幸せだ。


「なら、いい」

「・・・・・・」

「ならいい。治るならいい」

できた。一瞬にして鎮火作業は終了だ。やつの瞳は再び燃えカスのような色を纏った。そうして奴は再び沈黙の付き添い人の役に入りこんでしまった。
馬鹿だ。なんて単純だ。
思わず空きっぱなしになっていた口を閉じて、下唇を少し、噛む。
どうして、どうして、こうなのだろう。



「・・・・・なんだかなあ」



力を込めた唇を解放すると、
はあ、と普段よりはあたたかな息が口から抜けた。



「心配?このからだ、つかえなくなるの」

「・・・・・・・・・」

「大変だよね、使えなかったら。僕も大変だ。困る。」

「そう、だよね?」

「あたってるよね?」

「嘘でもそう言っとかないとさあ」

「・・・・・・・・」

「お互い辛いとおもうんだけど、ねえ?」

「・・・・・・・」

「あー、ねえ、もう、なんだかなー」



なんだか、だ。
がしがしと枕の上で絡まった頭を乱暴にかき混ぜた。視界に数本白線が舞う。
なんだかんだで、具合は、悪いのかもしれなかった。落ち着きたい、とにかく。
天井の染みを、もういちど探そうと数回細かく瞬きをする。しかしそこにあるのはやはり灰色の長方形だけだ。
先ほどみつからなかったものが今になって見つかるなんて都合のいいことはおきなかった。
あまりにつまらない日というのはきっと最後までつまらないのだから、残りの時間は寝るに限る。
そう決めた。
一緒にねようか、と横の死神にささやくと、軽く左右に首を振られる。
何を生意気な、話相手にもならないくせに。ここで大人しく抱き枕にでもなっていれば、まだいつものとおりの利害関係が成立するかもしれないというのに。
ばかだねともう一度呟く。
否定もなければ肯定もせず反論もなければ慰めもない。
こいつも自分ももう早く眠ればいい。眠らないのはあんまりからだによくないから。
いくら外に太陽があろうと電灯があろうと満月が浮かぼうとこうやってカーテンに遮断されてしまえば太陽も月も星もクソもないのだ。
ただこの部屋が灰色であることだけが事実として残るばかりだ。
そんなぶつ切りの思考の塊が頭蓋のなかだけで泳いでいる。
ばかだ。ばかばかりだ。
ばかは風邪をひかなくても、ただそれだけで病だった。
掠れた呼吸と衣擦れの音と小さな小さな水音を生み出すばかりの自分の傍で、バクラがいつまでも息を潜める。